解説・挿話 - 蒲田脚本部

蒲田脚本部

脚本家・水島あやめの絶頂期=昭和3年

脚本家・水島あやめの絶頂期=昭和3年

2014年01月13日 蒲田脚本部

1928(昭和3)年、サイレント映画の黄金時代を迎えていた。「キネマ旬報」は「現代劇では、日活が、村田実、阿部豊、溝口健二らに加えて、内田吐夢、田阪具隆らの新進監督の活躍がめざましく、一方松竹蒲田でも牛原虚彦、池田義信ら […]

児童映画の夢と現実

児童映画の夢と現実

2014年01月12日 蒲田脚本部

1929(昭和4)年の水島あやめと映画にまつわる話題をもうひとつ。それは「児童映画」に関することである。昭和に入り、子どもの映画熱が高くなったことから、その影響力について論議が起こっていた。 1枚の銀幕を大勢が同時に見る […]

水島あやめと清水宏

水島あやめと清水宏

2014年01月11日 蒲田脚本部

1929(昭和4)年に公開された水島あやめの脚本作品は2本であった。これまで紹介した「明け行く空」のほかに、「親」(監督・清水宏、8月公開)がある。簡易保険局の宣伝映画で、4巻という小品。このフィルムもほぼ完全な形で現存 […]

関東大震災と映画館

関東大震災と映画館

2014年01月02日 蒲田脚本部

東日本大震災のあと、津波に襲われ跡形もなくなった街に呆然とたたずむ少女の姿に心が痛くなったことを思い起こす。関東大震災のあと、水島も東京の街角で、そうした姿を幾度も見たことだろう。あるいは当時21歳だった水島自身がそのひ […]

水島あやめと関東大震災~2014年を迎えて~

水島あやめと関東大震災~2014年を迎えて~

2014年01月01日 蒲田脚本部

昨年2013年は、水島あやめ生誕110周年であった。そして今年2014年は、水島が映画シナリオを学ぶ決心をして小笠原映画研究所に入った1924(大正13)年から数えて90年目に当たる。日本女子大学師範家政科の4年になった […]

水島あやめと女優~田中絹代①

水島あやめと女優~田中絹代①

2013年12月22日 蒲田脚本部

田中絹代(1909~1977)は4作の水島映画に出演している。水島の松竹蒲田第1作の「お坊ちゃん」(大正15年5月公開)で半玉・玉子役を演じ、「木曽心中」(昭和2年8月公開)、「鉄の処女」(昭和3年5月公開)に出演、そし […]

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