野田高梧「もっともっと女性脚色家出でよ」 2020年10月02日 映画脚本・原作松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 松竹蒲田の脚本研究所では、昭和六年に試験をへて六、七人の女性を入所させ、教育している。みな熱心でまじめな勉強家だったようで、野田高梧は、彼女たちのなかから新しい女流脚本家が生まれるかもしれないと期待している。 野田は、当 […]
古川緑波「水島あやめ女史よ、私は貴女に嘱望する。」 2020年08月16日 映画脚本・原作松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 大正十五(1926)年七月公開の、水島あやめ原作「お坊ちゃん」を観た古川緑波は、某雑誌にこんな寄稿をしている。「私は、此の人のシナリオ・ライターとしての豊かな天分を発見した」と。 彼は、シナリオライターというものは女性に […]
松竹キネマ蒲田撮影所100周年特集「大田の観光」2020年・夏号 2020年06月13日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 松竹蒲田撮影所が開所したのは1920(大正9)年6月25日のこと。 まさに、今月25日に100周年を迎えます。 大田観光協会が発行している「大田の観光」夏号は、蒲田撮影所の特集です。 A3版、両面カラー刷、2つ折り。 ふ […]
湯河原温泉 中西旅館跡地を訪ねる 2017年02月26日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 二月二十五日、土曜日。 梅の季節に誘われたわけではないが、朝目覚めて、ふいに湯河原行きを思い立った。 中西旅館のあった跡地とその周辺を歩いてみようと思ったからである。 家を出たのが八時過ぎ、湯河原駅に着いたのが十一時半頃 […]
五所平之助・清水宏・小津安二郎・斎藤寅次郎・成瀬巳喜男が監督した水島映画 2015年10月10日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 水島あやめが松竹蒲田脚本部に入ったのは大正14年春(正式入社は翌大正15年1月)。日本映画界はサイレントの黄金期を迎え、日活と松竹キネマを中心に多くの独立プロが映画製作に切磋琢磨していた。まさに日本映画の青春時代であった […]
故郷を想う 2015年03月08日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 水島あやめは、大正14年から昭和10年までのおよそ10年間を、松竹蒲田脚本部でただ一人の女性脚本家として活躍した。その間で、昭和2年から同5年が水島の脚本家としての絶頂期だったと思われる。年齢では24歳から27歳迄に当た […]
「スタヂオ参観記」②―日本女子大同窓生の記録から 2015年03月08日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 (前回からのつづき) 「どこに行っても汚い所ばかりだった。 『これは自動電話よ』 中には受話器も何もなかった。 『撮影用のです』 で合点。 『ほらここから見れば木がいくつも組合わせてあって汚いでしょう、でも向へ巡れば立派 […]
水島あやめの信念 2015年03月01日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 水島あやめ(本名高野千年)は、日本女子大学師範家政科4年の時に、小笠原映画研究所でシナリオを学び、その秋に「落葉の唄」(原作国本輝堂)のシナリオライターでデビューした。そして大学を卒業すると、そのまま松竹キネマ蒲田撮影所 […]
随筆「湯河原行」②=蒲田脚本部新年会 2015年02月28日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 前回につづき、水島あやめが日本女子大学の機関紙「家庭週報」(昭和8年2月10日号)に寄せた随筆「湯河原行」の後半を紹介する。 「ご飯の時も、その後で脚本会議が始まってからも、室の障子は、時々、ドカンと暗くなったり、又カッ […]
蒲田の男優黄金時代 2015年02月15日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部 水島あやめが脚本家として活躍した昭和初期の蒲田脚本部は、女優のみならず、男優陣も人気スター揃いであった。水島は、次のように記述している。 「松竹キネマが、その豊富な女優陣に加えて、男優陣でも、だんぜん映画界の王者をもって […]