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小説家時代

昭和10年(1935)〔32歳〕

1月、『接吻十字路』(監督佐々木恒次郎)が公開。 3月、松竹蒲田脚本部を退社。以後、少女時代からの夢だった小説家に転じる。 5月、『輝け少年日本』(監督佐々木恒次郎・佐々木康)が公開。皇太子殿下(現上皇陛下)降誕奉祝記念… 続きを読む »昭和10年(1935)〔32歳〕

昭和11年(1936)〔33歳〕

この年から、雑誌『少女倶楽部』が主な作品の発表舞台になる。 1月、『少女倶楽部』新年号(講談社)から、写真物語「愛の翼」の連載がスタート(全6回)。 3月、『小公子』(バーネット原作)が『少女倶楽部』の付録本になる。 4… 続きを読む »昭和11年(1936)〔33歳〕

昭和12年(1937)〔34歳〕

1月、『少女倶楽部』で「物知り小枝ちゃん」の連載(全12回)がスタート。 2月、『白衣の天使ナイチンゲール』(『少女倶楽部』二月号付録本)発行。 5月、『大坂城の花 木村重成』(同誌五月号付録本)発行。 ※7月、日中戦争… 続きを読む »昭和12年(1937)〔34歳〕

昭和13年(1938)〔35歳〕

この年から、『講談社の絵本』からの原稿依頼がくるようになる。 以後昭和17年までに30作以上の作品を書いて掲載される。

昭和14年(1939)〔36歳〕

4月2、「少年文学作家画家協会」(会長加藤武雄、幹事長池田宣政)が発足。水島は劇映画部委員として参加する。 5月、『少女倶楽部』に、名婦物語の第一弾「吉田松陰の母」が掲載される。 以後、昭和16年までに、「奥村五百子」「… 続きを読む »昭和14年(1939)〔36歳〕

昭和15年(1940)〔37歳〕

3月16日、S氏と協議離婚する。3年半という短い結婚生活だった。 12月、はじめての少女小説の創作集『友情の小径』(文昭社)が刊行される。

昭和16年(1941)〔38歳〕

6月、少女小説集『櫻咲く日』(壮年社)が刊行される。 ※12月8日、真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まる。

昭和17年(1942)〔39歳〕

2月、「櫻花の心」が、『少女倶楽部』(二月号)掲載。 6月、「日の丸かざして」が同誌(六月号)掲載。 9月、「御民なれば」が同誌(九月号)掲載。 この頃、同誌に、日暮豊年海軍少将インタビュー記事や、保健婦養成所、食糧学校… 続きを読む »昭和17年(1942)〔39歳〕