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晩年

昭和42年(1967)〔64歳〕

3月、湘南を離れ、高女・大学時代の友人小島(旧姓新田)芳江氏の邸内(新宿区中落合)の離れに移り住む。

昭和47年(1972)〔69歳〕

10月、回想録『金城山のふもとで―私のわらべうた』(上村印刷所)を自家出版する。

昭和48年(1973)〔70歳〕

5月、六日町の名誉町民に推挙されるも、辞退する。 同5月、千葉県柏市にある有料老人ホーム、ボンノールガーデンやわた苑に入居する。

昭和54年(1979)〔76歳〕

12月21日から、『新潟日報』で「雪の山里の冬ごもり」(全4回)が掲載される。 以後、「新潟日報」「魚沼文化」「山野草の会会報」などに、さまざまな随想随筆を寄稿する。

昭和55年(1980)〔77歳〕

3月11日から、『新潟日報』で「ああ雪の村にも春が来た」(全4回)が掲載される。 12月24日から、同紙で「思い出の雪の正月」(全3回)が掲載される。

平成元年(1989)〔86歳〕

9月、『山野草の会会報』に、随筆「思い出の山野草」第5回を寄稿。最後の原稿となる。

平成2年(1990)〔87歳〕

12月31日、老人ホーム、ボンノールガーデンやわた苑にて永眠。87年の生涯を閉じる。 新潟県六日町の極楽寺の墓地で、母サキとともに眠る。