
雑誌「劇と映画」大正15年3月号のこと
2015年10月06日 特作映画社
去る9月26日に神田の古書店で手に入れた雑誌について。この1冊には水島あやめの作品が3作取り上げられている。映画の公開日の順に紹介したい。 まず、水島脚本「極楽島の女王」(特作映画社第一回作品・大正14年12月26日公開 […]
2015年10月06日 特作映画社
去る9月26日に神田の古書店で手に入れた雑誌について。この1冊には水島あやめの作品が3作取り上げられている。映画の公開日の順に紹介したい。 まず、水島脚本「極楽島の女王」(特作映画社第一回作品・大正14年12月26日公開 […]
2014年08月04日 特作映画社
小笠原プロダクションは3年ほど、特作映画社はわずか3作で解散。小笠原明峰が主導し中心的に関わった2社の寿命は短かった。理由は何だったのだろうか。2社で製作公開された水島あやめの作品「落葉の唄」「水兵の母」「極楽島の女王」 […]
2014年08月02日 特作映画社
水島あやめ(23歳)が脚本した「我は海の子」は、先に書いたように公開されなかった。ところが、小笠原明峰は、あらたに自分で原作脚本を書き、弟の三善英芳が監督となり、配役を代えて撮り直す。そして9ヶ月後の大正15年10月27 […]
2014年07月28日 特作映画社
水島あやめ(23歳)の脚本作品「極楽島の女王」(10巻)は、小笠原島や勝浦、犬吠崎ロケを敢行するほど力を入れたものの失敗作に終わった。特作映画社は、すぐに第2作の製作に取りかかる。「我は海の子」という作品で、これも水島が […]
2014年07月27日 特作映画社
水島あやめ(23歳)の3作目の脚本作品「極楽島の女王」の完成度について確認しておく。 まず、監督した小笠原明峰自身の述懐。 「焼けつくように私の頭にコビリついて居るのは、近藤経一さんの特作映画社で、「極楽島の女王」と云う […]
2014年07月26日 特作映画社
内田吐夢(1898-1970)は、大正活映で映画の世界に入った。その大正活映の製作責任者として招かれていたのが、当時ハリウッドで早川雪洲とともに活躍していた栗原トーマス(1885-1926)で、内田は彼のもとで演技を学ん […]