評伝(連載) - 水島あやめという女性

水島あやめという女性

「水島あやめの生涯 日本初の女流脚本家・少女小説作家」出版とブログ「評伝・水島あやめという女性」終了について

「水島あやめの生涯 日本初の女流脚本家・少女小説作家」出版とブログ「評伝・水島あやめという女性」終了について

2019年12月25日 水島あやめという女性

2019(平成31、令和1)年という年は、私にとって大きな節目の年になった。 そのひとつが、「日本初の女流脚本家・少女小説作家 水島あやめの生涯」の上梓である。 水島の存在に出会って27年、執筆から出版まで約3年かかって […]

評伝・水島あやめという女性(第71回)

評伝・水島あやめという女性(第71回)

2016年02月21日 水島あやめという女性

五、エロ・グロ・ナンセンスと会社の方針と 水島の場合、これらトーキー化に対応することのほかに、世相の変化の荒波をも受ける。 さきに紹介した升本喜年氏は「会社から、もっと色っぽいものを書いて欲しいと求められた」と、ある人物 […]

評伝・水島あやめという女性(第70回)

評伝・水島あやめという女性(第70回)

2016年02月14日 水島あやめという女性

四、トーキーが求めた変化 トーキー時代の到来は、俳優にもきびしい現実を突きつけた。 サイレント時代では、なまりがあろうとダミ声やキンキン声であろうと声質は問題にならなかった。 しかし、トーキーともなると、そうはいかない。 […]

評伝・水島あやめという女性(第69回)

評伝・水島あやめという女性(第69回)

2016年02月12日 水島あやめという女性

三、トーキー化と脚本家の悩み こうして、松竹キネマのトーキー化の取り組みがスタートしたわけだが、映画が有声に変わっていくことで、映画製作はすべての分野で変革を余儀なくされる。 当然のことながら、撮影所では、日々真剣に対策 […]

評伝・水島あやめという女性(第68回)

評伝・水島あやめという女性(第68回)

2016年02月07日 水島あやめという女性

二、昭和五年から昭和七年までの水島映画 国内外が、なにかときな臭くなってきたこの時代に、水島あやめはどうのような作品を書いていたのだろうか。 昭和五年から同七年は、水島が二十七歳から二十九歳にかけての時期である。 まず公 […]

評伝・水島あやめという女性(第67回)

評伝・水島あやめという女性(第67回)

2016年02月06日 水島あやめという女性

第七章 トーキー時代の幕開けと世相の変化 一、昭和五年から昭和七年の世相と日本映画の転換期 これまでみてきたように、昭和二年から四年にかけて、すなわち水島あやめ二十四歳から二十六歳にかけての三年間あまりは、松竹蒲田で唯一 […]

評伝・水島あやめという女性(第65回)

評伝・水島あやめという女性(第65回)

2016年01月31日 水島あやめという女性

十二、経済的な自立~祖父への手紙~ このような充実した月日をへて、水島あやめは脚本家としての地位と社会的な評価を獲得した。 そして経済的な基盤も確立し、生活にゆとりが持てるようになっていた。 上京してからの母と娘のふたり […]

評伝・水島あやめという女性(第64回)

評伝・水島あやめという女性(第64回)

2016年01月30日 水島あやめという女性

十一、日本女子大同窓会「桜楓会」の取材を受ける 「児童映画の事」という文章が雑誌「芝居とキネマ」に掲載された三か月後。 こんどは母校日本女子大学の機関紙「家庭週報」昭和四年六月十四日号に、「訪問記(八) 蒲田スタヂオに水 […]

評伝・水島あやめという女性(第63回)

評伝・水島あやめという女性(第63回)

2016年01月25日 水島あやめという女性

十、「よき児童映画」の夢と現実 前回紹介したように、「よき児童映画をつくりたい」という夢を抱いて映画シナリオの道に進んだ水島あやめではあったが、現実的には、会社の製作目的すなわち儲かる映画ストーリーを書くことに、日々励ま […]

評伝・水島あやめという女性(第62回)

評伝・水島あやめという女性(第62回)

2016年01月24日 水島あやめという女性

九、友との語らい 水島あやめ(二十六歳)の充実した日々は、友との会話にもあふれ出ている。 「芝居とキネマ」昭和四年一月号に、水島は「わかりきった話」という文章を載せている。 銀座のカフェで、久しぶりに大学時代の友人と会っ […]

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