水島あやめと清水宏

2014年01月11日 蒲田脚本部

※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。お問い合わせはこちら

1929(昭和4)年に公開された水島あやめの脚本作品は2本であった。これまで紹介した「明け行く空」のほかに、「親」(監督・清水宏、8月公開)がある。簡易保険局の宣伝映画で、4巻という小品。このフィルムもほぼ完全な形で現存し東京国立近代美術館フィルムセンターに保存されている。

若くして妻を亡くし、貧しさのあまり赤子の娘を置き去りにした男が、源作夫婦の愛情に包まれ15歳に成長し幸せに暮らす娘の姿に心を入れ替え、村を去る。1年後、源作のもとに実父から我が娘に合わせてほしいという手紙が届く。源作は娘を、病気で余命短いという実父のもとに行かせる。再会を果たした実父が、娘のために貯金した簡易保険の通帳を娘に手渡すというストーリーである。

清水宏(1903~1966、水島と同年齢)は「人物の演出やロケーションの撮影などに先進的なリアリズムを導入」し、「子どもの自然な存在感を引き出す演出」に突出した才能を発揮したという(NFC「生誕110年 映画監督 清水宏」、東京国立近代美術館フィルムセンター発行)。本作品「親」での表現は、どう評価されるのだろうか。ちなみに、清水は水島の脚本作品を、もう1本撮っている。前年12月公開の「美しき朋輩たち」(原作・璧静)という児童もので、この作品も5巻という小品であった。

ところで清水(26歳)は、この時期、女優の田中絹代(19歳)と同棲していた。結婚でなかったのは、人気女優との結婚を所長の城戸四郎が認めなかったからだが、1927(昭和2)年に同棲を始めたものの喧嘩が絶えず、この年1929(昭和4)年に破局している。

2014.1.11

PAGE TOP