水島あやめと女優~田中絹代①

2013年12月22日 蒲田脚本部

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田中絹代(1909~1977)は4作の水島映画に出演している。水島の松竹蒲田第1作の「お坊ちゃん」(大正15年5月公開)で半玉・玉子役を演じ、「木曽心中」(昭和2年8月公開)、「鉄の処女」(昭和3年5月公開)に出演、そして「輝け日本の女性」(昭和7年8月公開)では主演であった。水島は蒲田撮影所で同時代を過ごした俳優たちの思い出を残している。そして絹代については次のように記している。

「この人(田中絹代)は、私が入社したころ、すでに新進スターとして売り出していて、当時、清水宏監督の夫人でした。今でさえ、若い娘々した顔立ちですから、そのころは、とてもあどけない可愛い顔で、これが良人のある人だなんて、とても想われませんでした。ですから役柄も、いつも純情な、可憐(かれん)な娘役ばかりで、私の脚本にも、いく度か出演してもらいましたが、セット撮影など見に行って、撮影の合間に何か話しているうちに、(この人は実に利口だな)と、しみじみ思わされました。どのような世界、どのような仕事でも、そこで群をぬいて、一流となるには、何よりもまずその人の利口さが第一の条件です。美貌を一枚看板にしているように思われる、映画スターだって、決してそれだけでは成功しません。結局は、その人の頭のよしあしが、ものをいうことになるのです。田中さんの今日の地位も、あの芸のうまさも、結局はあの人の、すぐれた頭のよさが、根本となっているのだと思います。」(「魚沼新報」昭和22年1月1日号)

絹代が「お坊ちゃん」で半玉を演じたのは京都から蒲田へ移ってきたばかりで、当時まだ17歳。水島は23歳で、日本女子大学を卒業して1年目。絹代が清水と同棲を始めたのは1927(昭和2)年といわれているから「お坊ちゃん」公開後のことになる。

2013.12.22

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