【歴史小説】暁の鐘の音(第三回)  本郷新二

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暁の鐘の音(第三回)              本 郷 新 二

翌日—。
惣右衛門は非番であった。
上田庄では、武士といえども自ら田畑を耕す、いわゆる半農半士である。惣右衛門は、一日、おいとと一緒に田の草取りに精を出していた。
一区切りつくと、二人は畦に腰をおろして一息ついた。
盆地をぐるりと囲む山々の緑がみずみずしい。早苗の田の面には、初夏の青い空と白い雲が映っている。それが、ときおり蛙やドジョウが音を立ててつくる波紋で揺れる。
目の前には坂戸山が座っている。
腰から抜いた手拭いで汗を拭きながら、惣右衛門は、雲洞庵の存達和尚から伝えられたことを、おいとに話した。
「それは有難いこと」
と、おいとは喜びを口にしたあとにつづけた。
「ですが、思案の岐路、ですね…」
「うむ…」
おいとも、近ごろ、樋口家に聞こえてくるさまざま出来事が気になっているのだ。
なかでも、飯山の実家泉家からの打診は、いまの二人に重くのしかかっている。
数日後には、小千谷方面での用を済ませた三左右衛門が立ち寄る。そのときまでに身の振り方を固めておかねばならない。しかし、それは樋口家の行く末を決める重要な決断だった。
「あら、要之輔様が…」
おいとの声に顔をあげると、畦道をやってくる大島要之輔の姿があった。
「あいかわらず仲がよいのぉ。まさに水辺にやすむオシドリの絵だ」
「からかうでない」
「ははは。ところで惣右衛門。先だって仙桃院様に与六のことを尋ねられたぞ」
大島要之輔は土木の才に長け、坂戸城の一切の工事と管理を任されている。必然、登城する機会も多く、仙桃院や重臣などに接する機会も少なくない。
「ほぉ」
惣右衛門は意外だった。
「喜平次殿の小姓にと考えているが、どう思うかと聞かれたから、一も二もなく推薦しておいた」
「それはかたじけない」
「俺ばかりではない。卓之丞殿も尋ねられたと言っておられた」
今成卓之丞とは和算の教授で、惣右衛門と要之輔の師でもある。
朝早くから日の暮れるまで山々を歩き廻っていることの多い惣右衛門は、城内で、こんな話が進んでいることなど知る由もなかった。
「ただ、熊五郎らが横やりを入れているらしい」
代々長尾家に仕えてきた家臣の田崎熊五郎は、自分の息子吾吉を喜平次の小姓にしていることを鼻に掛けていた。そればかりか、小姓は古参の家臣の子息で固めるべきだと公言してはばからない。だから、あらたに与六が加わることが面白くないのだ。
親の思いというものは、子に伝わるものである。吾吉は、徒党を組んで、幼い与六に嫌がらせをしているという。
惣右衛門とおいとは、互いに顔を見合わせた。
「上田の者にも、まま狭量な奴がいて困る」
と、要之輔は舌を打った。
熊五郎のかたくななさは、実は惣右衛門の才気に対する嫉妬であることを要之輔は見抜いていた。群雄が割拠し覇を競う乱世である。有能な人材は取り立てられるべきだ。そう考えている要之輔は、上田衆のなかに見られる排他性と、惣右衛門に対する冷遇を、我がことのように悔しがっていた。
「しかし、倅が若殿の近習ともなれば、城内でのおぬしを見る目も変わろう」
「俺のことなどどうでもよい」
惣右衛門は苦笑した。
「もちろん、お受けするんだろうな?」
「思案している」
「なぜだ。考える必要などないだろう」
要之輔は怪訝な顔をした。
「倅は八歳だ。喜平次殿とは五つも離れているし、小姓のなかでも一番年下になるのでな」
「与六なら大丈夫だ。目から鼻に抜ける聡明さ、それにどこか胆の座ったところもある。喜平次殿も、与六を弟のように可愛がっていると言うではないか」
「それだけに心配なこともある」
「よくわからんな」
はっきりしない惣右衛門に、要之輔は首をかしげた。

家臣なら手放しで喜ぶはずの出来事に、惣右衛門が逡巡するのには理由がある。
(いかに樋口家を再興するか…?)
これが、惣右衛門が胸の奥底に秘めた願望だった。
樋口家の先祖は、平安時代の末期に、木曽義仲に仕えた四天王の一人樋口兼光である。兼光は巴御前の兄である。「平家物語」にも伝えられる先祖を、惣右衛門は誇りとしていた。
元歴元(一一八四)年のことである。木曽義仲は、自ら征夷大将軍となり旭将軍を名乗って京に攻め上ったが、源範頼、義経の軍に攻め込まれ戦死する。義仲の最期を知った兼光は自ら源軍に突入したものの、敵方の児玉の兵に捕らえられてしまう。
ところが、樋口家と児玉家は婚姻関係にあった。児玉は、兼光の命を救おうと降伏を薦め、兼豊はこれに従った。兼光の武将として器を知っていた義経らも兼光の延命を鎌倉に進言した。しかし、源頼朝はそれを許さず、兼光を斬首してしまったのだ。
この敗戦ののち、樋口一族は、今井、小野沢、野上一族らとともに義仲の首を盗み、上州赤城山の山麓に落ちると、この地に義仲を手厚く葬って、雌伏の日々を送ることになる。
長い歳月を経て、永享十(一四三八)年のこと。鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の間で永享の乱が起こる。このとき、越後国の長尾家は上杉方に与し、足利勢を破っている。
当時赤城にあった樋口家は、この戦いで長尾家に参戦して武功を挙げ、その褒美で越後国北山(現在の小千谷市大字真人)の領主になった。
五、六十年にわたってこの地に在住していた樋口家は、やがて上田庄の坂戸城下に移住。爾来、誠実に長尾家に奉公し職務に励んできたのだった。
しかし、上田衆にとって、樋口家は、所詮外様に過ぎなかった。およそ一年の半分を雪の下で暮らすというきびしい自然環境のもとで培われた絆は、新参の者を容易に受け入れる気風にはなっていなかった。
樋口家代々の努力と勤勉が認められたのは、兼光から数えて十五代目、惣右衛門兼豊の代になってからで、与えられた御用が薪炭係だった。
ようやく樋口家再興のきざしが見えてきたかに思えた。
誇り高い樋口家の再興を、自らの手で果たしたいという思いを抱く惣右衛門は、人一倍職務に励み、勉学にいそしんだ。そして、年を重ねるに連れて、惣右衛門の誠実勤勉な人柄とその働きぶりは、薪炭を生業とする村人に厚く信頼され、その評判は檀家を通じて存達の耳にも聞こえてきていた。
しかし、外様の一用人の働きは、古くから堅い結束を守って来ている重臣らには、簡単に受け入れられなかった。惣右衛門が願う樋口家の再興につながるような大きな取り立てもないまま、いたずらに歳月が過ぎていた。
(俺の願いは、この上田長尾家で果たせないのではないか…?)
そんな思いが、惣右衛門の胸に去来するようになっていたとき、存達の話しと、おいとの実家からの打診があったのだ。
惣右衛門の悩みは、いっそう深くなった。

二日後—。
惣右衛門は、城内で日誌を付けていた。
そこへ使いの男が駆け込んできた。
「樋口殿。永松の五十嵐殿が、至急お越し頂きたいと」
同じ薪炭係で五十沢谷を担当している五十嵐伊平左からの呼び出しだ。伊平左は、惣右衛門の無二の親友である。
急いで、永松の五十嵐宅へ駆けつけてみると、伊平左は、座敷で一人の山伏と対座していた。
「どうした?」
「さっそくすまん。この男、巻機の裏を越えてきたらしい。雲洞庵の存達殿の所へ案内してほしいと言うのだ」
「ほう。理由は?」
「それを言わん。役目から言えば、このまま城につれて行くべきなのだが、存達殿の名前を出したので、判断に窮している。人を見る目は、貴様のほうが確かだ。だから来てもらった」
惣右衛門は、しかと男を見据えた。
格好は山伏だが、目の据わり方はまさしく武士だ。
「伊平左。この男、どこで抑えた」
「それがな、俺が天竺尾根の小屋に向かっている途中で、この男の方から声を掛けてきたのだ」
雲洞庵の存達和尚の名を出したうえに、こうして平然と座っている。おそらく薪炭係五十嵐伊平左と知って声をかけてきたのだろう。伊平左が縄を掛けていないのは、その必要もなかったからにちがいない。
一呼吸おいて、惣右衛門が抑えた声で訊いた。
「このままなら城に連れて行くことになるが…」
「ならば、ここで腹を切らせてもらう」
男は淡々と言った。
惣右衛門と伊平左は見合って、目でうなずき合った。
「あい分かった。では、雲洞庵に案内いたそう」
「お世話おかけ申す」
男は深く手をついた。
雲洞庵に行くには山谷から細越峠を越えて大月に出ればよいが、途中、誰にあっても不思議のない城下である。山伏姿では人目につくので着替えさせ、惣右衛門が連れて行くことになった。
薪炭御用は薪や炭の管理と取引が主な仕事だが、国境の山林を管理する関係上、密偵などの侵入者を取り締まることも大きな役目だった。
これまで何人も取り押さえたが、この男はそれらの誰ともちがっている。
無事に男を存達に引き渡した惣右衛門は、
(あの男も、また…)
甲斐国武田方の使者だろうかと思うのだった。

(つづく)

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