水島あやめの映画は「女性映画」

2013年10月27日 蒲田脚本部

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脚本家水島あやめの映画のジャンルはといえば「女性映画」であろう。女性映画とは女性をおもな観客層と想定して、女性(母親、若い女性や妻、少女)を主人公や主要な登場人物にキャスティングして製作された映画を総称する。大正末から昭和初期の場合、新派調悲劇といわれる母ものや少女哀話などを指すことが多かったようである。

水島が原作や脚本を書いて製作され公開された映画は31作品(松竹蒲田28作、小笠原映研・小笠原プロ2作、特作映画社1作)である。そのうち、主人公が母親の作品が5作、若い女性や妻が12作、少女が11作で、その他は3作にすぎない。しかしその他3作のうちの2作は少年が主人公で、母親や少女たちも観客層のターゲットに入っていたと想像できる。

水島が脚本家としてデビューした大正末期から昭和初期は第一次世界大戦後の好景気に後押しされ、日本は工業化と都市化が急速に進展。大都市を中心にサラリーマンが急増する。経済的に余裕のできてきた大衆は娯楽を求め、映画館に殺到した。安い入場料で見ることのできる手ごろな娯楽だったのである。映画産業の隆盛を支えた主力は、低賃金の労働者層であり、女性や子供たちであった。

こうした世相が女性映画の受け皿になっていた。好景気による経済的余裕と教育制度の充実などが女性の解放を促した。映画は女性たちに、これまで彼女たちが見たことのない華やかで明るく自由な世界を提供した。そこには憧れと笑いと涙が満ちていた。松竹蒲田は女性映画に力を入れていたことは広く知られているが、それはこうした時代背景が土壌になっていた。それはまた、水島あやめが女性脚本家としてデビューし活躍する舞台を与えてくれた土壌でもあった。

2013.10.27

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