「水島あやめ」という女性

2013年10月26日

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水島あやめ(1903~1990)という女性は、これまで二つの肩書、すなわち「映画脚本家」と「少女小説作家」が付けられて紹介されてきた。そして彼女の生涯は、四つの視点で語ることができると私は考えている。「日本映画史の視点」「児童文芸史の視点」「女性史の視点」そして「介護の視点」である。

まず日本映画史では、第一期黄金期といわれるサイレントの全盛期からトーキーへの移行期にあたる。松竹蒲田撮影所脚本部在籍中には蒲田でただ一人の女性脚本家として28本の原作または脚本を書いて活躍した。日本映画の青春時代に、彼女が出会った映画人たちの横顔と体験した事柄は貴重な史料といえよう。

二つ目は児童文芸の歴史についてだが、少年小説や少女小説という児童向けの読み物の全盛期から児童文学確立への移行期と、児童向け大衆雑誌の全盛期から漫画雑誌への移行期が重なる。少女小説はセンチメンタルで低俗と評価は低いが、果たしてその評価は妥当なのだろうか。

三つ目の女性史では、時代区分としての近代から現代への移行期に当たっている。この時代を映画脚本家と少女小説作家として活躍した彼女は、誰のために、どのような物語を書いて語りかけていたのだろうか。女性の解放と人権獲得が進んだ20世紀を、女性脚本家、少女小説作家として生きた生涯になにかメッセージはないのか。

最後が介護である。あまり知られていないことだが、彼女は18歳で病弱の母を引き取り、母が亡くなるまで35年余りわたって介護生活を貫いた。その生活の中で脚本家と小説家として多数の作品を書いたのである。仕事と介護の両立を成し遂げたわけで、それは女性の自立という女性史にもかかわっている。

本ブログでは、これらの内容を念頭に置きつつ、気ままに書き綴っていこうと思う。

2013.10.26

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