昭和4年の松竹蒲田…トーキーへの始動

2013年12月14日 蒲田脚本部

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昭和4年は、無声映画に活動弁士や楽士以外の新たな音が加わるようになった年である。主題歌の登場とその大流行である。

「虹の都 光の湊 キネマの天地 花の姿 春の匂い あふるるところ カメラの眼に映る かりそめの恋にさえ 青春燃ゆる 生命は躍る キネマの天地」。ルドルフ・フリルムの明るく軽快な曲に、堀内敬三の華やかで希望にあふれた詞の「蒲田行進曲」(映画「親父とその息子」の主題歌)は、単に主題歌の流行やサイレントからトーキーへの移行の第一歩というだけでなく、昭和初期の大衆娯楽として絶頂期にあったサイレント映画と解放感に満ちた日本社会の世相を象徴する曲として今日に語り継がれている。

昭和4年はまた、松竹が映画の新時代にむけて蠢動した年でもあった。

この年の4月、蒲田撮影所長城戸四郎が外遊から帰国する。前年7月に市川左団次一座の訪ソ歌舞伎団団長として旅立った城戸は、ロシアでの公演を成功させると帰国する左団次一座と別れ、欧州各国とアメリカを廻る。当時話題になっていたトーキーの制作や興行の現状を視察し、その将来性を模索してきたのである。松竹キネマもいよいよトーキー制作に乗り出すのではないか…映画関係者とファンは城戸の帰国第一声に注目するが、城戸は「時期尚早。蒲田でトーキーを作るつもりはない」と発言。理由は活動弁士や楽士たちの存在に配慮したからと言われている。そうした表向きの発言の裏側で、城戸は行動を起こしている。帰国後、大阪でトーキーを研究し成果を出し始めていた土橋兄弟に会いにゆき支援を申し出たのである。それから2年後の昭和6年、松竹蒲田のトーキー時代は「マダムと女房」の公開で幕を開けることになる。

ハーモニカ用楽譜「明け行く空」ほか
昭和4年に発売された映画主題歌の楽譜。

2013.12.14

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