「明け行く空」封切日に配布された劇場用パンフレットに、監督の齋藤寅次郎は「所謂『少女物』」という一文を載せている。その中で、次のように書いている。
<この映画は少女の友の当選作品を映画化したものですから、内容などの標準が割合に幼稚であるかも知れません。さればと言って、これを単なる少女向の映画にしては、あまりに作品が低下視するのではないかとの気分もし、また興行価値などの懸念から私は、劇筋内容は少女向の物でも、所謂映画化する時は短編であらうとも充実した物にして、かつ一般向きの面白い映画作るべく苦心したつもりです。プログラムピクチャーとして低下視されるのを避けようとしたのです。>(「帝国館ニュースNO.11」昭和4年5月25日発行)
少女ものであっても、またプログラムピクチャー(添え物)であっても、一般向けの娯楽作品に仕上げたい—-斎藤はつづける。
「要するにこの『明け行く空』のようなものは、悲劇や喜劇などとは違った所謂『少女物』という特殊な殻をかぶっているだけに、その映画化は至難」だが、「原作に対して『忠実なる映画化』の態度を取った積り」で、「観者におもねるような小器用な手法に山かんをはったり、いたずらに自己陶酔の生意気な態度は微塵もしなかった」。そして「ただ着実にそして出来るだけ新手法を執っただけです」と。
斎藤のいう「新手法」とは何か。この文章では判然としない。しかし映画を観たうえでの感想を言えば、おそらく少女ものを喜劇風に味付けすることで大人も子どもも楽しめる作品に仕上げるという手法を指しているのだろう。
そして最後に、「未熟な私はこの『明け行く空』を作った事によってかなり種々の事を学び得た事だけは言わせて頂きます」と締めくくっている。のちの「喜劇王」への第一歩が踏み出された作品が「明け行く空」であったと言えるのかも知れない。
因幡純雄
2013.11.10