蒲田脚本部「最もたのしく、最も苦しかった時代」

2014年09月23日 松竹蒲田撮影所蒲田脚本部

水島あやめ(23歳)の松竹蒲田への正式入社は、当時の「蒲田週報」「キネマ旬報」の紙上で公示され、また「松竹百年史」という同社の歴史にも明確に記録された。しかし、入社日は何月何日付だったかについては、今のところ分かっていない。「お坊ちゃん」の当選発表が大正14年12月27日で、「作者水島はこれを機会に、蒲田撮影所の脚本部に入った。」という「松竹百年史」の記録を基にするなら、年の明けた大正15年1月1日付が自然の流れと言えるかもしれない。

こうして、「何しろ世間知らずの上に、映画の本質もよく分からないような幼稚な人間だったので…実に難行苦行」(「桜楓新報」昭和36年7月1日号)したものの、「私の一生のうち、多分、最もたのしく、最も苦しかつたと思われる時代」(「長岡高等女学校同窓会報」)だったと、水島自身が述懐する松竹蒲田脚本部での10年間が始まったのである。

2014/09/23

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