B面/【歴史小説】暁の鐘の音(第一回)

2023年12月22日 B面(小説・詩・随筆)

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暁の鐘の音(第一回)                                  本郷 新二

永禄十一(一五六八)年、初夏—。
越後国上田庄—。
曹洞宗の古刹雲洞庵から坂戸城下のわが家に向かう道すがら、樋口惣右衛門兼豊の胸中はおだやかでなかった。
通天存達和尚の言葉が、繰り返し響いているのだ。
話しがあるから来て欲しいという存達からの使いが来たのは、明け方、惣右衛門が炭焼きの検分に出かけようとしていたときであった。長崎村の見廻りをすませ、雲洞庵の山門をくぐったときは、まだ日が高かった。
「仙桃院さまがのぉ、与六を喜平次殿の近習にと申しておられるのだが…」
庫裡の一室で、存達は言った。
仙桃院とは、いまは亡き坂戸城主長尾政景公の妻のこと。越後国主上杉謙信の実姉で、喜平次は長尾家の世継ぎである。御年十三歳。
与六は、惣右衛門の嫡男だ。
喜平次には、すでに、幼少のときからの小姓がいく人かついている。いずれも古くから長尾家に仕えてきた家臣の子息たちである。にもかかわらず、五歳も離れた八歳の与六を、あらたに近習に加えたいというのだ。
そして、仙桃院の意向を伝えた存達は、長尾政景の実兄である。政景亡き後、仙桃院、喜平次母子の後見をしていた。
喜平次は、幼くはあっても坂戸城主である。その近習とあらば、樋口家にとって、まぎれもなく栄誉なことである。
ところが―。
「どうして、端役の私の倅などに…」
思いがけない話に、日頃の屈折した思いが卑屈な言葉になって、惣右衛門の口をついて出た。
存達の目元が一瞬きびしくなって、すぐに和らいだ。
「薪炭係は上田庄の財政を左右する御用ゆえ、利権に群がる者も少なくなかろう。そのうえ領民の暮らし向きも手に取るように分かり、さぞかし気苦労も多いことであろうのぉ」
「いえ。そんなつもりで申したわけでは…」
恐縮する惣右衛門に、存達は小さく声をたてて笑った。
「じつはのぉ、惣右衛門。推薦したのは儂なんじゃよ」
存達は、雲洞庵で喜平次らに学問を教えていた。もちろん政景の意向であった。
薪炭係の惣右衛門は、いずれ役目を継ぐことになる与六を連れて、しばしば山に入る。ある朝のことである。与六をつれて雲洞庵に立ち寄ってみると、これから講義だという。もともと学問が好きな惣右衛門は、倅を一緒に聴かせてもらえないかと頼んでみた。存達は快く許してくれた。
夕刻、惣右衛門が迎えに行くと、瞳を輝かせた与六が御堂から飛び出してきた。
あとから姿を現した存達は、
「しばらく、ここに通わせてみてはどうじゃ」
と言った。
そんなことがあってから、与六は存達の講義に加えてもらっていたのだ。
「身に余るご配慮、誠に有難う存じます」
両手をついて深く頭をさげながらも、
「少しの間、考えさせていただけませぬか」
と言った惣右衛門に、存達は静かに肯いた。

雲洞村を抜けると、左手に魚沼の盆地が広がる。
西の空があかね色に染まっている。山際に、陽が沈みかけているのだ。
岩井沢川を渡ったところで、惣右衛門は路傍にたたずんだ。
(どうしたものか…)
金城山を背に立つ惣右衛門の足許から、扇状地がゆるやかにくだっている。
右手に、上田長尾家の居城を擁する坂戸山(標高六三四メートル)。難攻不落で名を馳せる山城だ。坂戸山と三国街道の間を流れる魚野川が天然の堀になっている。
正面には、魚沼の丘陵がなだらかに横たわる。この峰を越えて進むと、越後国府中の春日山城に直結する。
そして、左手には上田富士と呼ばれる飯士山や巻機山に連なる峰々が望まれる。
惣右衛門の背後の三国連山は、越後国と上州上野国の二国を分かつ険峻な天然の岩屏風である。
土地の者は、三国連山を東山、魚沼丘陵を西山と呼ぶ。この東山と西山に挟まれた南北に細長い盆地が、長尾家の治める上田庄である。
あたかも三国連山の麓で広がる箱庭のようである。風が少ない穏やかな里で、人々もまた穏やかだ。あまり強い風が吹かないから、冬は雪深くなる。
寡黙で質実剛健—。
これが上田衆の気質である。
それにくわえて、上田衆は固い団結力を誇っている。一年の半分を深い雪の下で生き抜くうちに、家族にもました強く固い絆が育ったのである。
また、この地はまさに交通と物流の要所であった。
盆地のほぼ中央を、魚野川が北に流れ、やがて信濃川と合流する。上田庄が下流の小千谷、長岡、新潟との舟運の起点になっている。そして、この魚野川に沿っているのが、上州関東に通ずる三国越えの街道である。
この地でできる薪炭は、青苧と並んで、諸国に向けての重要な輸出品で、城の財政を支えていた。
一方、春日山城からは、久比岐の山中を抜けて妻有郷へ、そして西山の栃窪峠を越え上田庄に入り、塩沢で三国街道に出会う。ここから魚野川に沿って湯沢を抜け、上州上野国に出るのが三国越え。そして登川を遡って行くのが清水越えである。
これまで謙信はいく度となく関東に出兵しているが、そのいずれも春日山から塩沢まで来て、三国峠か清水峠のいずれかを越えて進んでいる。
越後国と上州関東を結ぶ大辻—。
上州関東からすれば、越後国の玄関口—。
越後国を治める上杉謙信にとって、ここは極めて重要な位置を占めていた。
上杉家が、謙信の姉を先の坂戸城主長尾政景に嫁がせたのは、まさに、この地の重要性を考えたからであった。
とはいえ、越後と上州の両国を分かつ険しい山々も、雪の季節をのぞけば、行き来は比較的自由である。洋の東西を問わず、国の境とはそういうものだ。上田庄の場合、府中の春日山から遠いことも、それを容易にしていた。関東はもちろん京大坂に関する情報は、ともすると春日山より早く聞こえてくる。
そんな地に生まれ育って三十年。
千載一遇の栄達の機会がやってきたのだ。
にもかかわらず、惣右衛門の胸のうちは複雑に揺れ動いていた。
彼方で鴉の啼く声がした。三羽四羽と、空高く坂戸山に向かっている。
晩鐘が、低く長く聞こえてきた。
魚沼の里は、いつしか薄墨色に沈みかけていた。(つづく)

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