大久保忠素・水島あやめコンビの理由

2015年01月02日 随筆・随想

松竹蒲田所属中に製作公開された水島あやめ作品は、全部で28作。そのうち、大久保忠素が監督したのが6作。しかし、「明け行く空」(昭和4年5月公開)は斎藤寅次郎監督となっているが、撮影当初は大久保が予定されていたものが、どこかの時点で斎藤に移行されたようである。これを含めれば7作になる。

蒲田の監督陣には2つの系列がある。小山内薫系列と野村芳亭系列で、大久保は野村芳亭系列である。野村は新派調を得意としていた。水島の作品は、「お坊ちゃん」という社会劇や「恋愛混戦」などの喜劇もあるが、「母もの」や「少女悲劇」という新派調が圧倒的に多い。しかも大久保監督、水島脚本、高尾光子主演という「オミタ・トリオ」の作品群は、新派調で興行価値が高く、水島は蒲田に於いて、このジャンルの第一人者であった。

大久保は1894年生まれで、水島(1903年生まれ)の9歳年上。おおらかな性格で、弟子の斎藤寅次郎(1905年生まれ)、小津安二郎(1903年生まれ)に自由に撮影させ、それが彼らの技術を磨かせたと評価されている。明治大学文科卒で、蒲田では数少ないインテリ監督であった。

新派調と言うジャンル、年齢ではひと世代先輩、そして、おおらかな性格…大久保は、水島がのびのびと働ける監督だったのではなかろうか。さらに高学歴なので、水島にとって数少ない理解者であり、よき先輩だったかもしれない。水島の記録には、城戸や男優女優子役は多く登場する。しかし、監督では大久保くらいしか見当たらない。「天使の罪」(昭和2年2月公開)の試写会の想い出で、水島は大久保と気軽にやり取りしている。

2015/1/2
no.218

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