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「愚かなる母」のストーリー

水島あやめ(24歳)の作品「愚かなる母」のストーリーは、どのようなものだったのだろうか。大正15年10月31日号の「蒲田週報」に掲載された粗筋をもとに紹介したい。

「生活難で、おはまは志村家の玄関にわが子を捨ててしまう。彼女は死のうと決心していた。とある橋の上で、流れる水面を見つめていると、通りがかりの職人風の男がおはまの様子を怪しんで、『俺の思い違いか知れないがー』と前置きして『あとに残る者の事も考えないで、自分だけ死ぬなんてことはあんまり勝手だ』と諭される。いとしいわが子への強い愛着が、おはまを、もう一度やり直そうという思いにさせた。

おはまは急いで志村家に戻ったが、すでにわが子はいなかった。翌日、捨てた子の結果を知りたさに、おはまは思い切って志村家を尋ねる。取り次いだ女中は早合点し、『あちらのお部屋です』と案内する。その柱には『乳母志願者控室』と張り紙されていた。数人の志願者の中から、奇しくもおはまは、自分の生んだ子の乳母として採用されたのであった。

数年が過ぎた。志村夫人は病気の為、おはまに育ての娘八千代の事をくれぐれも頼んで死んでしまう。やがて八千代は美しい娘に成長する。そして夜を昼にという、ダンスホール三昧の青春の日々を送る。富と美貌に恵まれている八千代には、多くの青年が群がってくる。八千代は関哲夫という青年に心を寄せていたが、哲夫にはヴァンプ型のお照という女が付き纏っていた。

或る日、哲夫から郊外散歩の誘い文を受け取った八千代は、約束の駅まで自動車を急がせる。先に着いた哲夫が駅で八千代を待っていると、そこにお照が現はれ、『どこかへ遊びに行こう』と誘う。困惑する哲夫に、お照は『あの娘さんを待っているのでしょうけど、あの人には大川という人がいるのよ』と笑って言う。それを聞いた哲夫は、お輝と一緒に待合室をあとにする。

その後すぐ八千代は駅に着くが、哲夫の姿はすでになく、失望して家に帰り、おはまに八つ当たりするのだった。そして、八千代は電話で大川を呼び出し、一緒に散歩しようと誘う。そこに哲夫がやって来て何度もあやまったことで、ようやく八千代は機嫌が直り、別荘行きの約束をする。そのあとに大川が嬉しそうにやって来るが、素っ気なく追い返されてしまう。

クリスマスの夜、招待客のなかには大川と哲夫の姿があった。大川は八千代を庭の繁みに誘い、心の内を打ち明けるが、八千代は冗談としてあしらってしまう。それを遠くから見ていた哲夫は、いつかお照に聞いた事を思い出す。パーティが始まったが、そこに哲夫の姿はなかった。八千代が女中から『関さんから』と受け取った一枚の紙片には、『貴女の気持ちが判らなくなりました、僕は考えなくてはなりません。哲夫』と書かれていた。

八千代の心を痛めた。そのとき、女中が会いたいという女性がいるというので応接間へ行くと、そこには洋装のお照がいた。そして『今夜のお祝いに』と哲夫の写真を出す。その裏には『愛するお照へ』と認められていた。八千代は驚き、言葉を失ってしまう。お照は勝ち誇ったように帰って行く。物蔭で聞いていたおはまは、八千代に走り寄り抱き合って泣いた。その日から八千代は病気になってしまう。

おはまは意を決し、お照を訪れる。そして『哲夫と別れてくれ』と頼むのだった。やがて八千代に嬉しい日が来る。」

冒頭に、この映画を「母もの」と書いた。しかしストーリーを読むと、それまでの「母もの」とは趣を異にしていることがわかる。それは、美しい女性へと成長した我が娘の恋愛の行方にまで関わる物語になっているところにある。ここに、大正末から昭和初めの世相と、脱皮を模索する日本映画の状況を垣間見ることが出来ると思われる。「愚かなる母」という、まさに「母もの」映画を想わせながら、一方で、若い女性の「恋愛もの」を盛り込んでいる。水島の脚本の世界を広げ、観客層を広げようとする試みだったのであろうか。

2014/12/09
no.194