大正15/昭和元年(1926)〔23歳〕

1926年 脚本家時代

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1月24日、この日発行の『蒲田週報』に、水島あやめの蒲田撮影所脚本部への正式入社が発表される。

5月1日、喜劇の大社会劇『お坊ちゃん』(原作水島あやめ、監督島津保次郎ほか)が、浅草電気館にて封切。大好評を博し、3週続映となる。

5月23日、初めての原作脚本映画『母よ恋し』(監督五所平之助)が封切。母と娘の再会と別れを描いた「母もの」の新派調悲劇で、主演をつとめた名子役高尾光子の可憐な演技が観客の涙をさそい大当たりする。こののち、高尾光子とのコンビの「お涙頂戴もの」を、数多く書かされるようになる。

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7月、雑誌『芝居とキネマ』で、女性シナリオライターの先駆者として、日活の林義子とともに写真付きで紹介される。

9月、蒲田撮影所で大規模の組織改編が行われ、あやめは城戸所長の直属となる。

9月21日、水島あやめ原作『いとしの我が子』(脚本・監督五所平之助)が封切。

11月6日、少女悲劇『曲馬団の少女』(監督鈴木重吉・斎藤寅次郎)が封切。

12月1日、『愚かなる母』(監督池田義信)が封切。

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