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大正13年(1924)〔21歳〕

大学4年の春、小笠原映画研究所(のちの小笠原プロダクション)で、映画シナリオを学びはじめる。

8月、写真小説「街の曲」が雑誌『少年倶楽部』に採用され、初めて原稿料をもらう。このとき、初めて〈水島あやめ〉というペンネームを使う。(以降、水島あやめと記す)

11月22日、千年が脚本した『落葉の唄』(原作国本輝堂・監督小笠原明峰)が、浅草遊園二館で公開。『キネマ旬報』『活動雑誌』などに紹介される。
これが、女性脚本家によるわが国で最初の映画作品となった。