上田史談会会誌「魚沼」43号(令和7年4月1日発行)に、昨年11月23日開催「蒲田図書館歴史講座」での講演内容を掲載しました。
日本で最初の女性脚本家の一人である水島あやめは、大正14年4月に松竹キネマ蒲田撮影所脚本部に入りました。当然のことながら、蒲田脚本部に採用された最初で、ただ一人の女性でもありました。
水島の蒲田脚本部在籍期間は、大正末期から昭和初期にかけての10年間。さまざまな職場に婦人が進出し、「職業婦人」と呼ばれて衆目を集めた時代です。美しい女優が綺羅星のごとく活躍し人気を博した松竹蒲田でしたが、そんな時代の先頭を走っていた映画界にも、女性差別の因襲は根深く残っており、水島は忍耐の日々を送ります。そんな水島は蔭になり日向になって守り、指導し、育成したのが、撮影所所長の城戸四郎でした。城戸の庇護によって、水島は脚本家として独り立ちし、得意分野を確立。経済的基盤と社会的地位を獲得して、自立した人生の基盤を築きました。
本講演では、当時の日本社会、蒲田・大森地区、蒲田撮影所に、どのような差別があったのか、そして城戸の庇護によって水島が獲得したものについて紹介しました。
関心のお持ちの方には、ご一読いただければ幸いです。
20250401