高田稔の御難

2020年11月27日

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1931(昭和6)年頃の記事だと思われる。
松竹蒲田の三羽烏のひとり、高田稔に関する微笑ましい逸話に出逢った。

記事曰く、
「或る時或る所のさるカフェー」でのことだ。
高田が友人2,3人と連れ立って飲みに行き、あれこれ話しているうちに、女給が「貴方のご職業は?」と尋ねるので、彼は「映画俳優だよ」と答えた。
すると女給は、「この店にも蒲田の高田稔さんがよくいらっしゃるのよ」というではないか。
心外に思った高田は「冗談云うなよ、俺がその高田稔だよ」と名乗るが、女給たちは一向に信じない。
とうとう店の女給が全員集まって衆議する始末。
その結果、いつも来る高田氏の方が本物だと、意見が一致した。
理由は「だって、あの人より顔がいいんですもの」。
で、本物の高田稔は、すっかり腐って退却――という結末。

気の毒なこともあるものだ。
高田稔は美男美女が多いことで有名な秋田県の医者の息子で、東洋音楽学校で学び、浅草でオペラの舞台に立ったことがあるほどの美形俳優。
そんな高田に勝る美形が本当にいたのかと思うと、多少小首をかしげるが、カフェーという舞台は幻惑の空間である。女給たち自身がその時その雰囲気に酔わされてしまったのかもしれない。
銀幕に映る高田稔は、スキのない完璧なメイキャップで作り上げた美貌で、活動ファンの女性たちの心を鷲づかみにしたが、カメラの前を離れて一息つこうと油断してしたしまったのだろうか。
さぞかし気合を入れて高田稔に成りすまし振舞ったであろう偽高田稔に、悲しいかな本物の高田稔は負けてしまったのである。
しかしこのことは、市井の男たちの身なりや振る舞いが、かなり上達し洗練されて、映画スターに肉薄していたことを示していると言えるかもしれない。

記事の内容から、伝明、時彦、稔の三羽烏が蒲田を飛び出したのは、どうやら、この小事件ののちのことのようである。

20201126

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